Richcartのメモ帳

もやもやエブリデイ

~フラストレーションの一言日記~

気遣いと迷惑の話②

昨日の続きです。

 

“一見気遣いの様だけど相手にとっては迷惑な行為”について話してきましたが、私にとってその最たる例が“皿洗い”なんですよね。

 

“気遣い”と“皿洗い”を並べられてもイマイチピンと来ないかも知れませんが、皆さんは誰かの家にお邪魔して食事を頂いた際に気を遣って「片付け手伝うよ」と言った経験はありませんか?

 

私は自称気ぃ遣いなのでそういった経験が多々あるのですが、その際に“皿洗い”を任されたことがあるんですよね。

その時私は当然食事の際に使用したお皿を丁寧に洗ったわけですが、その様子を見た相手から「そんなに丁寧にやらなくていいよ笑」と言われてしまったんですよね。

 

私としては「人様の食器だから懇切丁寧に扱わなければ」と思い一生懸命洗ったのですが、その様に言われてしまい私は「こいつ皿洗いおせーな」とか、もしかして「水道代無駄にするな!」って思われたのかな…といったマイナス思考に陥ってしまいました。

 

それ以来私は人の家で食事を頂いた際に、その後の片づけで皿洗いを自ら名乗り出ることは辞めるようにしたのですが、皿洗いを除くと食後の片づけは意外と無いもので、毎回家主が食器を洗っているのをただただ待っているだけという状況になってしまいます。

しかし、その際にも「こいつ食うだけ食って片づけは手伝わないのかよ」なんて思われていないかなと内心心配で仕方ありません。

どの道落ち着かないならいっそ何かを言われるリスクを背負ってでも手伝った方が良いのかも知れませんがそこは私の臆病さが出てしまいますね。

 

まぁ結局この話を通じて何が言いたいかと言うと、“気を遣う”という行為は案外人の為というよりは“気が遣えない奴”というレッテルを張られないためのある種自己防衛的な行動だと思うということです。

 

なのでもしこれを読んでいる人の中で「自分は気が遣える人間だ」と慢心している人がいたら、今一度その内容を思い返してみてください。

もしかするとその行為はどこかで人の反感を買っているかも知れませんよ。